続/窮鼠はチーズの夢を見るシリーズ<修正版>について

窮鼠シリーズ

先日ご報告しました『窮鼠シリーズ』修正の件について

読者の皆さまにはいろいろなご心配をおかけし、不快な思いをさせる事態になってしまい、本当に申し訳なく思っています。

昨今、こういった類の修正は特にアナウンスされずになされていることも多々ありますが、わたしとしてはやはり読者さんには伝えるべきことだと思いましたので、お伝えさせていただきました。

ですが一部、事実では無い方向で憶測がヒートアップしてしまっている部分もあるかと思いますので、関係の無い方が責められたり、矛先が向いたりすることのないよう、映画のことも含め、少し突っ込んだお話をしたいと思います。

今回の修正は、「16年前に始まったシリーズが今の時代にそのまま売るには難しいものになっていたから」に他なりません。
具体的に言うと、コンプライアンスの問題、東京都の条例の問題、人権への配慮のあり方などが、当時と今とでは大きく変わったということです。
性描写の規制が厳しくなったこともそうですし、当時使われていた言葉が、人権への配慮により今では使えないという問題があります。
言葉は生き物ですし、「当時このキャラクターがこの言葉を選んで発したのは意味がある」のですが、時代が変わればそれが伝わらなくなり、違和感のほうが強くなるということも事実です。
表現の自由も大切にしてほしいと思っていますし、意味があって全ての細部を書いた者としては、作品が第三者によって加工されたり修正されたりと弄られることに対しては、生理的に受け入れがたい辛い思いも当然あります。
ですが、それはそれとして、私個人としては、「必要な修正なのであれば、もっと早く対処すべきだった」という意見でおります。

窮鼠シリーズは完結して以降11年間、毎年コンスタントに増刷されてきたものであり、修正をするチャンスはこれまでいくらでもありました。昨年中だけでも3回は重版がかかっています。
ですが、「修正が必要だ」と小学館さんが認識されたのが、今回、映画化関連の企画としてシリーズ第1話を今月号の「フラワーズ」に再掲載するにあたって見直したことがきっかけだったそうです。それまで、問題があるということ自体に気づいていなかったとのことでした。

現在のタイミングで修正が行われた理由は、お粗末ながら、単純にそれだけです。

もっと早く今の時代背景に即した対応策を考えるべきだったし、読者さんが納得される形を検討すべきだったし、今頃気づいて慌てて雑な対応をしたことがお粗末だったと私は思います。それについて担当編集さんも、認識が甘かったと認めていらっしゃいました。

それと、実写映画について明言しておきたいことがあります。

映画は昨年中に撮影され、完成していました。
小学館の方々もご覧になってましたし、女性編集さん方が大興奮されて○○ー○○○○〜!(一応ネタバレ伏せておきますね)と叫んで盛り上がっていたという話も伺っています。

一方、今回の修正については、ついこの前小学館さんから緊急で相談があり、急遽修正することになったという報告を受けました。先述の通り、「今回フラワーズに再掲載するにあたり、『今の社会のコンプライアンスや、映画化による若い読者層への広がりを考えると、現状のままでは掲載できないという問題に気づいたので、急ぎ修正を行う。コミックスも、電子・紙ともに修正版にすぐ切り替える」とのことでした。

ですので、映画そのものと今回の修正とは、直接の関係はありませんし、映画化するために修正が必要になったわけでもありません。版元がコンプライアンスの問題に気付くきっかけになっただけです。
映画の制作サイドの方々もきっと、今回このような騒動が起きて(もしも耳に入っているとしたら)一体なにがあったのかと困惑されているのではないかと思います。

というかむしろ、役者さんたちは完璧に振り切って演じてくださって、映画は原作者の私から見ても「本当にここまでやるんだ…」と衝撃的でしたし、わたしのヘタクソな絵で書かれた濡れ場なんかより生身の役者さんがリアルに本気で体現されたもののほうが当然何万倍も「エロイ」わけですし、それがちゃんと映倫の審査を通過して、レーティングされて公開されるわけです。
実写映画のほうはこんなにも、なにもかもきちんとしているのに、原作出版サイドがこんな体たらくを露呈させていることは本当に恥ずかしいことだと思いますし、この問題のせいで一部SNS等であらぬ誤解が広がって映画サイドの方々を傷つけるような憶測まで生まれてしまい、本当に申し訳ないとしか言いようがありません。

今回の件は映画とは無関係のところで起きた、出版サイドのみの、単純すぎる失態にすぎないという事実をご理解いただければと思います。

修正についてのお話に戻ります。

漫画家をやっていると、「こう描いて」と言われて原稿を描いて渡したら「やっぱり変えて」とか「やっぱり消すね」とか言われることは性描写に限らずしばしばあります。
窮鼠シリーズも、ちゃんと性器が見えるように描いてと言われて「見えるように修正」し、原稿を完成させた経緯などもありましたが、シリーズ4作目にあたる『窮鼠はチーズの夢を見る』が掲載される直前に人事異動で編集長が変わって方針も変わり、「これは載せられない」と言われ、その時は編集部によって白ヌキ加工されるということで対応されたことがありました。
<オリジナル版>の4作目(書き下ろしも含めて掲載順に数えると6番目のエピソード)「窮鼠〜」のみ白ヌキ加工等がされているのはそんな事情です。(電子書籍版で切り替わった<修正版>では、その部分は白抜きや白トーン加工はナシになった代わりに、別のやりかたで局部が見えないように変更されました)

そんなわけでわたしとしては、そもそもこれまで一度も<純粋なオリジナル版>というのは存在しなかったということになります。

なので、わたしとしては今回のことも「またか」という思いなのと、同時に
かつて「性器が見えるように修正させられた」ものが「やっと無修正版になるのか」とちょっと安堵したような思いもあります。
性器なんかわざわざ見せなくてもこの物語に何の影響もないのに…と当時モヤモヤしていながら描き直していた気持ちが、16年たった今になって、こういう形で叶えられたのかもしれません。

ですが、それは読者さんには関係無いことで、どうあれわたしはその形で作品を完成させたわけですし、読者さんにとっては最初に見たもの、これまで見てきたものが或る日突然流通しなくなるという形で振り回される状況にさせてしまったことは本当に申し訳ないことだと思っています。
ほんの数ミリの絵が見えなくなったくらいでも、愛着を持ってくださってた方にとっては悲しいことだと思います。

都の条例自体どうなのか、とか、人権問題で表現の自由はどうなるのか、ゾーニングはどうするかといった問題等々はこの作品だけでなく、きちんと取り組まなければならない別の問題です。
それはさておき、私個人が今回の件で「誰が(何が)悪い」と考えているかというと、

・そもそも、大人向けのレディースコミックだからといってレーティングもかかっていない本で、目先の過激さのみ求めて「性器をよく見えるように描け」という指示を出していた当時の編集部がおかしかった(だから、今のような状況になった時に責任を持って作品を守ることができない)

・おかしい、と感じているのに仕事だから仕方ないと引き受けて、この作品を描いた私がいけなかった(だから現在、こういった報いを受けることになっている)

・ゾーニング的に問題のある本がなんとなく見逃されていたような時代から、社会背景はだいぶ前から変化していたのに、今の今まで気づくに至らなかった小学館さんの認識がお粗末だった

この3つに尽きると思っています。(小学館さんにもそう伝えています)

要は、「出だしが、土台がおかしかった。そのツケが今回ってきた」ということだとわたしは理解しています。
そして、おかしかったことを正すタイミングがここで来たのだと感じています。

ただ、読者さんがそれに巻き込まれて翻弄されてしまったことが本当に申し訳なく、わたしができることも何も無いという現実を悲しく思うばかりです。
また、無関係な映画サイドの方々まで今回のことの原因かのように言われるようになってしまったことも、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。

映画化がきっかけで小学館さんが問題の重大さに気づいたということで、「映画化したせいで修正された」と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、今回はたまたまそれがきっかけになっただけの話であり、昨今の状況から見て遅かれ早かれこういった要素を持つ本は何かの機会に有害図書指定されるなど、ずっとこのままで済まされることはなかっただろうと思います。
むしろ、今回のきっかけで版元が認識されたことで「一般向けの本としてあるべき姿になる=まずは作品自体がなにも問題なく存続できるようになった」というメリットもある、とわたしは考えます。

いろんな経緯があったとはいえ、最初に描いて出した<オリジナル版>がなくなることはわたしももちろん思うところはありますし、「これまでわたしが頑張ってやってきたことは何だったんだろう」という虚しい気持ちを抱えてやっていかなければならないことも事実です。他者による修正作業のなされた作品を、純粋に自分の作品と思えるかというと複雑な気持ちもあります(窮鼠〜はもともと<オリジナル版>からして他者による加工が入ってましたが)。
でも、いろんな理由で市場から静かに無くなっていく本がたくさんある中、10年以上販売され続けてきた<オリジナル版>を大切に思ってくださっている方が今後もきっと手元に残して下さると思うし、それでいいじゃないのと今は考えています。
たくさんの方に愛情をかけていただいている本作はとても幸せだと思います。

今わたしにできることは何もなく無力ですが、いつかまた時代が一回りして、性描写についても言葉の問題にしても違う扱い方が確立して、<オリジナル版>がまた販売できるような状況になればいいなと思っていますし、その頃までもしもこの作品が読み継がれていたら、それも夢ではないような気がしています。
窮鼠シリーズがこれからも販売される以上、小学館さんも今後何らかの方策を考えていかれるのではないかと思います。

初期からこのシリーズを愛読してくださった方は、このシリーズがこれまで何度もトラブルに(または嬉しいことに)見舞われるたびに、その波にもずっとお付き合いくださった方々だと思います。
今またこんなことになってしまって、すみません。
そして、いつもいつも本当にありがとうございます。

修正については感じ方に個人差があることですから、「どこが変わったのかよくわからない、大した差はない」と感じる方もいらっしゃれば「ココが見えてたのに見えなくなってる」「言い回しが変わった」とショックを受けられる方もいらっしゃると思います。
もともとこの本が全年齢向けで販売されていた以上クリアすべきだった基準を今まで無視していたツケで、読者さんを犠牲にしてしまったこと、本当に申し訳なく思います。
私自身も、こういった事態を引き起こしてしまわないためにも、どういうお仕事を引き受けるべきか、引き受けるべきでないか、シビアに見直す機会になったと考え、今後の教訓にしていきたいと思っています。
本当に申し訳ありませんでした。

 

…あっ、それと、窮鼠のことでまぎれてしまって当ブログで触れる機会を逸していたのですが、
『フラワーズ』3月号で告知されてます通り、『黒薔薇アリス』の続編が春からスタートいたします。
こちらはまた、別の機会にちゃんと告知させていただきますね。
諸々、何卒、よろしくお願いいたします。

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